病人の日々2.0

肝臓病と診断されたあと、胃潰瘍まで見つかった。 入院だ。さてどうなる? 明日はどっちだ?

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080615・それでも僕はミック・ジャガーを笑おうと思う

ミック・ジャガーは若いときに「四十五歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ」と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日のミック・ジャガーは四十五歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。誰がミック・ジャガーを笑うことができるだろうか?

以上は村上春樹の『走ることについて語るときに僕が語ること』からの引用である。

というわけで僕は45歳になった。

僕はあえてこう言おう。「しかし僕はミック・ジャガーを笑わないわけにはいかないのだ」と。
もちろん、僕だって、若いころは自分がよりにもよって45歳になるなどとは、考えてこともなかった。むろん(それまで生き延びていれば)誰だって45歳になる。だがその時点の自分を想像などできない。できるわけもない。その点では、村上春樹の論旨に異論はない。
しかし、実際に45歳を迎えた身としては、こうも思うのだ。仮に僕がミックなら、「サティスファクション」をうたうことは恥ずかしい。歌いたくはない。死んだ方がまし、だと。
もちろんミック・ジャガーの方にだって言い分はあるだろう。たとえば「俺が『サティスファクション』を歌わないことには、客たちは満足しない。それがショービジネスというものだ」などと。

当時生まれたばかりのロックンロールは若者のための音楽であったわけで、くだらない権威や“大人ども”、自分たちを縛る権力に唾するためのツールであったといえるだろう。そのロックンロールの飛び切りのアイコンとなったミック自身がくだらない大人になり、カリスマとして存在してしまった現在、自身が若い世代に唾を吐かれるはずの権威となってしまったわけだ。それはそれで彼らの不幸だが、それはやはりとびっきり格好悪い。彼はそうした自分自身の将来像を含めて、45歳を想像できなかったのだろう。

しかしあえて身も蓋もないことをいってしまえば、「サティスファクション」という歌の歌詞はけっこうせこい内容だ。歌の主人公が怒りを滾らせているのはくだらない話題を続けるラジオのDJであったり、歯磨き粉のコマーシャルだったり、やらせてくれなかった女たち、なのだ。俺はちっとも満足できねぇぜ!と怒りをぶつける対象としては、あまりにもみみっちい。

というわけで、今の彼らに相応しい歌詞を俺が書いてやろうじゃないか。

(I can get enough)satisfaction

ロックビジネスはチョロいぜ
金は唸るほどある 老後はバッチリ
そりゃ顔を知られたからマリワナを手に入れるのに
ちょっとばかり苦労するけどよぉ
満足だ 満足だ

女は腐るほど寄ってくる
いまいちDickの保ちが悪いけどいいってことさ
なんせサーの称号を女王様にもらったんだぜ
貴族様だ えらいんだぞ! ファック野郎ども
満足だ 大満足だ

年金だって払ってる
節税対策もおこたりない
保険にもたんまり入っているんだ
今夜先物投資をバッチリきめよう Baby!

だけどちょっとむかつくんだよ
俺は餓鬼のようにぎらぎらしてるか?
中指立てるのも今じゃファンサービス
寄ってくる奴はみんな金目当て
でもいいや、満足だ 満足だ
これ以上何を望む? おれは成功したんだ 文句あるか?

さて。
ミックは今年65歳で、日本で言うところの団塊の世代より上なのだ。で、(少々話の趣旨からずれるが)この団塊の世代どもに、僕は心の底からうんざりしている。
以前つきあいで行ったスナックで涙を浮かべんばかりの表情であの反吐が出そうな「いちご白書をもう一度」を歌っている団塊をたまたま目撃して、本気でビール瓶で頭をかち割ってやろうかと考えた。
彼女にもう若くないさと言い訳しながら髪を切って就職したのは、彼らが粉砕を叫んだ帝国主義的大資本の企業であり、その彼らが企業の中軸をになう年齢、すなわち今の僕ぐらいの年になった時点で、日本になにが起きたか。
バブル経済だ。
この現象は、彼ら自分自身が日帝主義的大資本の走狗、資本主義のブタとなりさがり、そうした自分を総括することもなく金金金と突き進んだ結果だ。

バブルがこの国にもたらした最大の弊害は、その崩壊後の大不況だけではない。この国における価値観の基準となるものが、すべて「金」に一元化されてしまったのだ。金になるかならないかだけが、物事の価値を決める判断材料となってしまったのである。これがバブル経済がもたらした最大の弊害なのだ。村上ファンドの村上世彰は「金儲けをすることは悪いことですか?」と言った。この言葉に対して誰も有効な反論をすることはできなかった。できるわけがない。金儲けすることのみが善、という国に、いつのまにかこの国は変わってしまったのだから。
で、バブル崩壊と前後して団塊の世代の子どもたちが何をやったか? 下着を売る、援助交際をする。彼ら彼女らは、自分たちがしていることがどうして悪いのか、まったく理解できなかったに違いない。だってこの世は金がすべてでしょう? 金になるのなら、何をやってもいいんじゃないの? 売っているものは他人のものじゃない、自分のものじゃん。
彼ら彼女らは金金金の両親の背中を見て育ったのだ。だからいくら貞操観念がどうしたとか言われたところで、理解できるわけがない。彼ら彼女らをそうしてしまったのは、資本主義に異議を唱えたはずの両親、すなわち団塊の世代である。

というところで、この記事を読んで吐きそうになった。

【さらば革命的世代】(1)全共闘の“革命”は何を残したのか

何を勘違いしているのか? シティホテルのパーティールームで会費1万円の「全共闘OB会」? こいつらアホだな、と心の底から思う。どうせ最後には全員で涙を流しながら「インターナショナル」の合唱でもしたのだろう。肩を組んで。なんの無力さを反省することもなく。彼らの“反逆”とやらのおかげで、その後の世代に対する権力側の管理体制が強化されたことを自分たちの負の遺産と背負う気概もなく。反動的と彼らが攻撃したはずの「産経新聞」のインタビューにへらへら答える。まったくもって恥という観念が欠如しているとしか思えない。
いったいどういう意識を持って、“私たちダンカイは”などと自分たちを特別視したがるのはなぜだろう? そういう台詞はたとえ発言者が村上春樹の夫人だろうと、軽蔑を感じざるを得ないのだ。フランスではフォションが日本円で約2500円するという5月革命40周年記念紅茶を売り出すという。吐き気がする。

さて話を戻す。
もろに団塊の世代であるムーンライダーズに「まぼろしの街角」という曲がある。作詞はメンバーのなかで同じ立教大学の出身である岡田徹、武川雅寛、白井良明プラス鈴木慶一なのだが、70年代安保闘争のキャンパスのことを回想したことが明白なこの歌の最後はこう締めくくられる。「いちご白書をもう一度」の歌詞を意識したかどうかは不明だが。

のばした髪は そのままで
冬には 小銭を かせいでた

この詩から僕は、彼らが自分のなかに抱え込んでいる自己への恥や怒り、韜晦を明確に感じ取る。メンバーが50代前後の頃につくられたアルバムに収められた曲だが、最低限、このような意識ぐらい持っていてほしいと思う。だから彼らのことは、団塊の世代だとはいっても、例外的に信用できるのだ。
彼らには(幸か不幸か)「サティスファクション」のような誰もが知っているヒット曲などないわけで、だからミック・ジャガー的迷走とも無縁。今では60歳近くなった自分たちをきちんと歌うこともしている。
ロックンローラーがどのように歳を取るかというのは、実際本人たちにとっては深刻な問題なのかもしれない。だから村上春樹が“ミックを笑えない”のも仕方のないことなのだろう。だがそれは、本当は恥ずかしいことなのだと思う。

というわけで僕は45歳になった。持病も抱えている。最近作った新しい眼鏡は遠近両用だ。Dickだってたぶんもうあまり役に立たない。
そしてあえて僕はミック・ジャガーを笑おうと思う。俺は俺の現在のロックンロールをやろうと思う。今が最高だと転がっていこうと。
  1. 2008/06/15(日) 15:48:03|
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先生、がんばってください

いくらなんでも、これはないだろう、というニュースを見た。
ニュースサイトの記事は時間が経つと消えてしまうから、とりあえず全文を引用させていただく。

――以下引用・TBS News iより


子供の携帯所持、政界も巻き込み議論



 子供たちが携帯電話からいわゆる有害サイトにアクセスし、犯罪などに巻き込まれる被害が大きな問題となっています。国会議員の間からは、「子供たちから携帯を取り上げよ」という声まで飛び出しました。

Q.携帯電話を取り上げられたら?
「生きてはいけると思います」「嫌だ。電話できなくなるから」「ウザイよね。あり得ないよね」(子供たちは)

 携帯電話から接続できるネット上の有害情報から子供たちをどう守るか。今、親や教育関係者だけでなく、政界までも巻き込んで議論が白熱しています。

 「子供を有害情報から守るための意義のある会にしたい」(自民党 中曽根弘文 元文相)

 このほど、中曽根・元文部大臣を会長とする自民党の勉強会が発足しました。教育現場に身を置いていた「ヤンキー先生」こと義家弘介参議院議員も、子供が携帯電話を持つ危険性をこう指摘します。

 「その気になれば、小学生がお年玉で爆弾を作れるんですよ。その環境を本当に是とするのか」(自民党 義家弘介 参院議員)

 携帯各社では、有害サイトに接続できないようにする「フィルタリングサービス」を行っています。しかし、議員勉強会では、「フィルタリングでは子供を守りきれない」としていて、「酒やタバコのように、ある年齢を満たさないと携帯電話を持てないようにしたらどうか」といった意見も出たということです。

 いじめなどに悩む子供から電話相談を受け付けている「チャイルドライン」。ここでは半分以上の子供が自分の携帯電話からSOSを発信しています。

 「自分の内面の事をお話しする時に携帯を使って一人でかけてきているのかなと。携帯があるからかけやすいというような状況にもなっている」(チャイルドライン事務局長 加藤志保さん)

 「持っていれば連絡取り合える、安心だと、こういうことかもしれませんけれど、しかし、携帯電話によるいろいろな被害もありますね」(福田首相)

【街の声は】
 「持たせなくていいと思いますけどね。大人でもそんなに必要ないと思う」
 「私は『持たせたほうがいい派』ですね。家電(固定電話)ひいてないんで」
 「(携帯電話を)どう使用するか、家庭の中で決まりを作って守らせれば、親が。(利用料を)払うのは親ですから」

 家族をつなぐ大事な道具でありながら、有害情報にも簡単に触れることができてしまう携帯電話。「子供は携帯禁止」と政治家に言われる前に、携帯とどうつきあっていくのか、食卓で子供と話し合ってみてはいかがでしょうか。(05日17:29)

――引用終わり

僕が疑問を感じた、というか、こいつアホか!と思ったのは、この部分。重複引用する。

――以下引用
 このほど、中曽根・元文部大臣を会長とする自民党の勉強会が発足しました。教育現場に身を置いていた「ヤンキー先生」こと義家弘介参議院議員も、子供が携帯電話を持つ危険性をこう指摘します。

 「その気になれば、小学生がお年玉で爆弾を作れるんですよ。その環境を本当に是とするのか」(自民党 義家弘介 参院議員)
――引用終わり

この発言は二重の意味で間違いである。まず一つめの間違い。
確かに携帯から爆弾の作り方の情報にアクセスすることはできるだろう。だから子どもから携帯を規制せよ、という論理が成り立つのなら、こういう論理も成り立つはずだ。
「その気になれば小学生でも人を刺すことができるんですよ。(家庭の台所に包丁が置いてある)環境を、本当に是とするのか」
あらゆる道具は、使い方によっては、危険を伴うものである。しかし、危険があるにもかかわらずそれを使うのは、その道具がもたらす利益が大きいからに他ならない。
たとえば自動車事故で人が亡くなっているからといって、車を使うことを禁止せよ、と発言する政治家がいるだろうか? 道具のもたらす利益(benefit)はできるだけ大きく、危険(risk)はなるべく少なく、というのが道具に対する基本姿勢。利益に対して、危険が多いのなら禁止すべきだが。

万が一、重大事故でも起これば何万人という人が死ぬ原子力発電所のリスクの方が、携帯電話で得た情報で爆弾テロで人が死ぬリスクより確率的に遙かに大きいと思いますが。ヤンキー先生、発言に責任取って、原発も禁止してくださいよ。

もう一つの間違い。
携帯で爆弾の作り方を小学生が調べるのは、その小学生が爆弾をつくりたかったからだ。携帯でわからなければ図書館で調べるだろう。爆弾の製造方法ぐらい、少し大きな図書館で丹念に調べれば読むことができる。

もちろん子どものアクセスを規制すべき、たとえば出会い系サイト、アダルトサイトなどが無数に存在することは確かだ。
だが間違った論理で、情報操作をしようと考えているのなら(僕にはこのヤンキー先生とやらがそう考えているとしか思えないのだが)、それは決して許されない。

もう一ついえば、携帯使用のマナーが悪いのは、子どもよりも、むしろ大人だと僕は思うのだが。つーか、かみさんは、僕がしょっちゅう電車の中なんかで他人の携帯の使い方を注意しているので、そのうち電車内で刺されるんじゃないかと、半ば本気で心配しているんですが。

テーマ:許されない出来事 - ジャンル:ニュース

  1. 2008/05/06(火) 03:56:43|
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ぱんだ

上野動物園のリンリンが亡くなった。
腹水が37kgたまっていたそうで。

うひゃー、俺の最盛期の2.5倍だよ。

人として、パンダに負けた、と感じる、今日この頃である(だからどうした)。



  1. 2008/05/01(木) 00:47:39|
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岡村ちゃんのばか/あるいは/中川勝彦再発

ニュース見た瞬間に「ばかやろう!」と。なにやってんだと。最初はもう、腹が立って腹が立ってしょうがなかったんだけど、だんだん哀しくなってきた。

岡村靖幸、というミュージシャンはある種の天才である、と言っていいと思う。ただ彼の輝きは特殊なものだった。その特殊さがもっともわかりやすく現われているのは「青年14才」という曲のサビだろう。“野蛮でノーパンで冗談で暮れる青年14才”。つまり、やり場のない過剰な性欲ではちきれそうなちんこをもてあましてうろうろおろおろしている童貞男子。世界で一番なっさけないこうした野郎が、彼の歌とダンスにかかると唐突に輝き出すのだ。そんな歌を作ったやつなんかいない。岡村ちゃんにしか歌えない。岡村ちゃんにしか踊れない。だから僕は、彼を“ある種の天才”と呼ぶことになんのためらいもない。

僕にとって、彼はミュージシャンというより、“高校のダメダメな同級生”という気分だった。そういう男がさらにダメになるのを見なくてはならんというのは、どうしようもなく、哀しい。いまさら“倫社と現国”学んでも、ステップUP↑できんだろうな。

しかし。
こういうパーソナリティを持ったアーティストはどう老いればいいのか。30過ぎで“岡村童貞説”が流れた男である。4枚目のアルバム『家庭教師』から5年以上新作を出さなかった時期のインタビューで、沈黙の理由を“援助交際の流行と、宮沢りえのヘアヌードに衝撃を受け、鬱状態になって曲が作れなかった”と真面目に語っていた男である(ま、それにくわえて、洒落にならんほど太ったことも原因だと思うけど。江口寿士は彼に路上で声をかけられたときに“どこの相撲取りかと思った”と言ってるしさ)。そういう男が、中年期にさしかかったからといって、いまさらやわなラブソングなんか歌えるはずがない。

だから今年発売された、桜塚やっくんのシングルに書き下ろした「あせるんだ女子は いつも目立たない君を見てる」を聞いたときは、正直安堵した。いきなり“全身タイツ着るより 恥ずかしいことはコクること”とはじまるこの曲、もう全盛期の岡村節全開で、どんどんこの調子で行ってくれよ!と。自分で歌わなくてもいいじゃん、と。

で。
朝から思いっきりOut of blueだっだわけですが、急に元気になったのは中川勝彦のCDが再発される、というニュースを見たからだった。
中川勝彦? 誰? という方が多いと思うけど、思いっきりわかりやすくいえば“しょこたんのお父さん”です。亡くなってます。33歳で、白血病。だからしょこたんが彼の娘だと知ったときは、おい!こんなでかい娘がいたのかよ!美少年ミュージシャンで売り出したときには子供いたのかよ!できちゃった婚かよ!とつっこみどころ満載でしたが。
でも一方で、しょこたんの人気が出たら、かっちゃんのCD再発してくれないかなー、とか思っていたんですね。

今回再発になるのはワーナー時代の5枚のアルバムで、最初の3枚はムーンライダーズの白井良明プロデュース。“美少年”でファーストアルバムのタイトルが「してみたい」。最初はけ!とかいって聞きませんでしたよ。良明さんは職人だからこんなやつのプロデュースもやるんだねって感じでさ。
ところが曲を聴いて、ぶっとんじゃったんですよ。シンガーとして完成された輝きと魅力があるんだよな。ちなみにその後、自分で曲を書くようになったのだけど、この頃は、ほとんどの曲が他の人の作品だった。白井良明はもちろん、加藤和彦とかの一流どころの書き下ろしで、なのに曲に負けてない(ムーンライダーズファンの抑えどころとして、ふーちゃん作詞、椎名和夫編曲という珍品もあります)。ホントにねぇ、いい曲が多いんだよ。だからもう、ワーナーさん頼む、BESTでいいから再発してくれ、それも「please understand me」、「Skinny」、「ナンシー・Chang!」の3曲だけ外さないでくれたら、後は文句を言わんからと。


それにしても。
なんか対照的だな、このふたり。
ひとりは美少年で22歳でできちゃった婚、かつての美少年は老いることなく、33歳で病死。
ひとりは美少年になりたくてなりたくてもなれなくて、未だ独身、もしかしたら童貞w、42歳で覚醒剤で逮捕、と。共通しているのはオタクだということぐらいか。
もしも、だけど今の時代に中川勝彦が生きていたら、岡村ちゃんの曲を歌ってほしかったな。きっとすげーかっこいいと思うんだよな。

というわけで。
今日は“岡村ちゃんのDNAを受け継いでいる”と自称している、及川光博がカバーした岡村ちゃんの「聖書(バイブル)」聞いてさっさと寝ます。
  1. 2008/02/07(木) 08:58:28|
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山口小夜子/あるいは/映画「杳子」

山口小夜子さんが亡くなった。享年57。
驚いたのは、Wikipediaに彼女の項目がないことだった。いつの間にか、彼女は過去の人になってしまった、ということなのだろう。

08.1.jpg

僕が彼女の名前を知ったのは中学生のころ。トップモデルとしての彼女ではない。スクリーンのなかだ。古井由吉の「杳子」の出演女優として。
小説「杳子」は知っているかたも、この小説が映画化されていることを知る人は少ないだろう。16mmの自主製作で、ぴあが噛んでいたと思う。彼女は杳子の姉を演じていた。
杳子を演じたのは石原初音という新人女優。綺麗な娘だったが、その後まったく見かけない。日本を舞台にした「がんばれ!ベアーズ」に出ているようだが、僕は知らない。主人公、というか語り手を演じたのは後藤和夫という俳優で、その後数年して大島渚の「東京戦争戦後秘話」(“戦”の字は、正しくは、いわゆるゲバ字が使われている)を見たときに、この主演男優どこかで見た、と思ったが、「杳子」の主役だということを思い出すまでに、結構時間がかかった。監督は伴睦人という人物で、当然ながら高名なSF作家にちなんだのだろう。ちなみに、さきほどこの映画についてネットで検索して見たところ、ちょい役として中村有志という人物が出演しているらしい。別人かと思ったが、その前年にテアトルエコーに入団していることから見ると、どうもあの中村有志のようだ。
そして山口小夜子だが、彼女が演じた役は、原作と相当に異なっていた。原作では2人の子どものいる主婦のはずが、映画は彼女そのまま、トップモデルという設定なのである。僕は映画を見た時点で、原作を読んでいなかったが、のちに読んでみて、あのヘリコプターから杳子の姉が颯爽と降りてくるシーンは、いったい何だったんだ?と混乱した。

しかしまぁ。
映画のできそのものは、今にして思えば、なんだかな、という出来だった。中学生の僕としては、“今の僕にはまだわからないというだけだろう”などと思ったのだが、やはり今思い返してみると、あれはかなり凡庸な作品だったのではないかという気がしてしょうがない。
冒頭の谷底での出会いは退屈きわまりない。デパートの売り場で彼女が混乱するシーンは、原作を読むまでどういうことか、ちっとも理解できなかった。その他、その他。とにかく原作を読んでいないことには、全編を通じて何が何だかわからないという作品だった。繰り返しになるが、冒頭の谷底の出会いのシーンは、原作では必然性があって長い記述になっている。谷底という地点で、バランスを失った遭難者として杳子がたたずむことで、心理的軋轢を表現するとともに、その場所へ降りていく主人公が、どうやって杳子の心理にたどり着こうとするかを象徴すると言ってもよいシークエンス。だがあの記述を原作に忠実に映像化するのは、映画の文法では無茶だ。

まぁいいや。僕の文章は山口小夜子への記述から、どんどん外れている。
海外を中心に活躍するモデルとして知られていた彼女が一般的にも知られるようになったのは、資生堂やPARCOのCMあたりのようだが、福岡、つまりPARCOなんて本屋で立ち読みするビックリハウスのなかにしか存在していない田舎に住む中学生が、彼女のことを当時知らなかったのは無理もない。
ただ、山口小夜子という、どこかしらイメージ過多の名前で記号化された彼女の美しさは、スクリーンでも際だっていた。後に彼女について知り、欧米の日本人女性に対するイメージを塗り替え、同世代の女性のロールモデルとなっていたことを認識したが、それは充分頷ける。

さて、映画版「杳子」だが、その後ビデオやDVDで発売されたという話を聞かない。ヒロイン2人の姿を確認する以外に、あまり価値のない映画かもしれないけど、それはともかく。
  1. 2007/08/21(火) 10:05:24|
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東京在住の売れないフリーライター、40代。

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